top

七月のご挨拶

 またまたご無沙汰してしまい、申し訳ありません。

 この春以来、次から次と旅続きで、書きたいことはいくらでもある面白い日々だったのはいいけれど、そんなときは原稿など書いている暇がないという矛盾に身悶えていました。

 七月六日にはヴァンクーヴァーで六十三歳の誕生日を迎え、八日から三日間アリゾナのセドナで取材、十五日夜帰国。翌十六日は新潟で講演、十七日は着物の撮影、十八日は東京でテレビの取材と講演、十九日から四日間はヴェトナム取材・・・と、ちょっと林住期らしからぬ有様ですが、まあたまにはこういうときもあるのです。八月にはゆっくりできる筈だから、バリ島あたりで寝そべって、溜まり溜まったったご報告を書きたいと思っています。

 ファンドレージング・パーティー参加希望のメールもいっぱい溜まっていますが、この猛暑に冷房の効きが悪い横浜の骨董部屋ではとてもパーティーなど出来ません。いつものディナー・パーティーは秋までお待ち下さい。

 夏は、その代わりに、芝浦にある桐島ローランドの大きなスタジオを借りて、下記のようにちょっと変わった納涼パーティーを開くことにしました。どなたでもどうぞ気楽にご参加下さい。その前に参議院選挙の投票もお忘れなく。




●日時:7月29日(日)午後3時―7時

●日程

〇3時―5時
 
 桐島洋子の開会挨拶、自作朗読とトークなど。

 それから桐島も入っている瞑想グループの代表で、最近話題のロボット犬アイボの生みの親でもある天外伺朗氏が当日は南米の縦笛ケーナの奏者としてこのパーティーに参加されるので、皆さんのご希望があれば、講演や瞑想の指導もしてくださるかもしれません。瞑想というとなにか怪しい宗教を連想して敬遠なさる方もおられるかと思いますが、この場合は精神の鎧を脱ぎストレスを解消する一つの技法と考えて頂いていいと思います。

〇5時―5時半

 軽食と飲物のサービス、そして自由に歓談(スタジオにはキッチンがないので横浜のようにちゃんとした食事は用意できません。ヴァンクーヴァー土産のスモーク・サーモンや生ハムやメキシカン・チキンのサンドイッチぐらいです。)

〇5時半―7時 コンサート

 カナダで活躍中のハーピスト大竹美弥・香織姉妹(カナダ大使館で演奏会が催されるために帰国するついでに私のパーティーでのボランティア演奏を快諾して下さいました。)のハープ二重奏を中心に、天外伺朗氏のケーナ、韓国の作家・王秀英女史の太鼓と踊り、叢学光氏の横笛をはじめとする中国伝統楽器グループの演奏など、東と西の音が交差する異色のコラボレーション・コンサートです。他の楽器の飛び入りもあるかもしれません。桐島洋子が司会を務め、いずれも友人である奏者たちとのトークも絡めていきます。
 
●場所 スタジオ・アンドロール
    港区海岸1―14―24、鈴江第3ビル4階ロックスタジオ
    (青い倉庫です)
*ローランドのスタジオには椅子がありません。フロアに直接坐っていただく事になりますので、各自ちいさなクッションでもご持参ください。

●会費 五千円

 今回はできるだけ沢山の方にお集まり頂きたいので、会費は実費ギリギリに抑え、「ファンドレージング」は参加者の自由意志に任せることにしました。会場に難民援護の寄金箱を置いておきますのでお志ある方はどうぞ。あるいは大竹姉妹のCDをお買い上げ頂ければ、その収益が難病の子供に届けられます。

ファンドレージング・パーティーとは何かということはホームページに以前から記してありますので、それをお読みになって趣旨をご理解の上、お申し込み下さるようお願い致します。

●お申込みの方法:

下記をご記入の上、担当 福田多美子
t-fukuda@jcom.home.ne.jp
宛てにメールをお送りください。

〇お名前
〇ご住所
〇ご連絡先電話番号
〇当日の連絡先
〇メールアドレス(半角で正確に)
〇自己紹介、メッセージなどありましたらお書きください。

メールのタイトルは

【桐島洋子 パーティ参加希望(2001.7.29)】

としてください。

桐島洋子




7月29日納涼パーティー続報

たださえユニークなコラボレーション・コンサートに、さらに思いもかけない豪華な援軍が加わります。

「大鼓」の大倉正之助さんと、「笙」の東野珠珠実さんといういずれもその道の第一人者として大活躍の演奏家が、友情出演して下さることになりました。また遠く北海道の阿寒湖畔からは、アイヌの伝統楽器「ムックリ」の名手・秋辺日出男さんも飛んで来て下さいます。

そして「ハープ」の大竹美弥・香織姉妹、「ケーナ」の天外伺朗さん、唐津からいらっしゃる「中国横笛」の叢学光さんとそのお仲間の「洋琴」は予定通り。これだけの楽器が一堂に会するのは前代未聞だと思います。二度とは出会えないユニークな饗宴ですから、どうぞお誘い合わせて多数ご参加下さい。一つだけ残念なことに、韓国の王秀英さんが教科書問題のあおりで参加をとりやめられたことをお知らせしなければなりません。

週末は台風が来るという噂もあるので北海道や九州からの飛行機がちょっと心配ですが、雨が降ろうと槍が降ろうと、もしも出演できなくなる方があろうと、ともかくパーティーは開きます。どんな状況でもそれなりに楽しく盛り上がるだろうと確信しています。

なおパーティーの前半は私のトークとか、軽食ビュッフェぐらいですから、スキップなさっても、それほど勿体無いことではありません。忙しくて時間が惜しいという方は五時半からのコンサートだけ聴きにいらっしゃるのもいいかと思います。その場合、会費は千円引きの四千円になります。

なお、このパーティーの模様は、「elan」という女性誌が取材し、10月号(9月1日発売)の桐島洋子大特集に掲載される予定です。
以上取り急ぎお知らせ致します。では29日にお目にかかるのを楽しみに。

三月のご挨拶

 一月下旬から一ヶ月余りをヴァンクーヴァーで過ごした。今年は意外な暖かさで、日本の大雪のニュースとは対照的に、早くも咲き始めた桜さえあり、天気の良い日はコートもなしに散歩ができる優しい冬だった。しかしこうして甘やかされると、いよいよ緊張感がなくなって、毎日とめどなく寛いでしまうのが私の困ったところで、持っていった仕事は遂に手付かずのままだった。わがノートパソコンも持ち主の精神状態にシンクロして怠け始め、メールの配達さえストップしたので、今年こそ筆まめにという新春の誓いは早くも潰え、長いご無沙汰になってしまった。

<続きはこちらです>
桐島洋子

謹賀新年新世紀
2001年元旦

 「今年こそ・・・」の狼おばさんを返上して、本当に今年こそもう少し真剣に仕事をし、書を学んで筆で恋文を書き、気功や自然食でシェイプアップに励み、・・・・と、これ以上言うより、不言実行。ともかく期待して下さればよいプレッシャーになるので、どうぞよろしく。

<続きはこちらです>
桐島洋子

2000年 12月のご挨拶

 秋になったら家に落ち着いてホームページのホステスをまめにつとめると夏には宣言したのに、八月末にはかって従軍記者として命がけの日々を過ごしたベトナムを再訪、九月にはアメリカで知り合ったインディアンの長老が来日したので彼を案内して日本縦断旅行、また昨年の事故で痛めた首の調子が悪くなってしばらく入院治療・・と、いよいよパソコンから遠ざかったまま秋を過ごしてしまった。

 首の不調は三寒四温という感じで、具合がよければ普通に活動できるのだが、その報告を書く余裕まではなくて、パーティー・シーンも、旅便りも、メディア登場録も、骨董物語も半年前からフリーズ状態だ。ホームページを作るのはいいけれど、きちんと維持するのは大変だというのは本当なのだとつくづく思い知る。来年から少し模様替えしてアップ・トュー・デイトな情報を送りやすくするつもりなので、もう少しご辛抱頂きたい。

 とり合えず今年の残りのスケジュールだけ記しておく。パーティーや講演会の予定も多少あるので、ご興味があればどうぞ。

 なお、先日、京都の禅林寺で収録したNHK衛星放送の「平成古寺巡礼」が来年一月二十七日に放映される。私の話はパッとしないが、美しい紅葉と国宝の「山越阿弥陀如来図」と、珍しい「見返り阿弥陀像」は一見に値するので、ご覧頂けたら嬉しい。それにしても朝早くから夜まで、しんしんと寒いお寺での撮影は辛かった。もともとひいていた風邪がいよいよ悪化して、ここ数日はほとんど使い物にならない。
皆様も風邪にご注意の上、お元気によいクリスマスとや年末年始をお過ごし頂きたい。

2000年 七月のご挨拶

七月のご挨拶

 このところずっと旅ばかりで、ホーム・ページも留守宅状態。せっかく「ご来訪」の方々にご挨拶もできず申し訳ないことだった。一応ノート・パソコンを持ち歩いてはいるのだが、何分まだ未熟者なので、援軍のいない旅先では、ちょっと間違えるともうお手上げだし、インターネットの接続もなかなかうまくいかないのである。
 五月下旬にヴァンク‐ヴァ‐から帰国した翌日北京に飛んで一週間。六月前半だけ日本にいて、十五日にパリ二十二日にロンドン。そして大西洋を越え、トロントに立ち寄り、月末にようやくヴァンク‐ヴァ‐に戻って来たところでやっとパソコンを開き、久しぶりに送信できるできる態勢になった。
 といっても、こちらにはなんの資料もないので「パーティー・シーン」「メディア登場録」「骨董物語」などのセクションのリニューアルは、七月末に一旦東京の自宅に戻るまでお待ち頂かなければならない。
 秋以後は日本に落着いているつもりなので、ホームページのホステスも、もう少しはマメに務められることだろう。
 こちらでインターネットに繋いだ途端、夥しいEメールがドッと湧き溢れて、まだ収拾がつかない。これから順々に読んで、出来る限りはお返事するつもりだが、何分粗忽な無精者なので失礼することもあろうかと思う。悪しからずお許し頂きたい。
 と、弁解とお詫びはこれくらいにして、近況報告はこちら。ひまダネなので、ご用とお急ぎの向きはスキップなさる方がいいだろう。

桐島洋子

2000年 四月のご挨拶

四月のご挨拶

 春が来た、春が来た・・・という、おそらく人生で最初に覚えた唱歌の一つを、タクシーに乗りながら思わず口ずさんでしまった。桜の季節は東京も至る所であっと目を見張るほど美しい街になる。
 暖かくなるにつれて鞭打ち症の首も少しずつ楽になって来た。だから出来るだけ外に出ては良く歩く。満開の桜の下で深呼吸して、花の「気」を胸に満たすと、生かされて在ることの有難さに目が潤む。私が生まれてから六十二回桜が咲いたのだ。あと何回桜を見ることになるのだろうと思っているところへ、私と同い年の小渕首相が突然脳梗塞に倒れたというニュースが流れ、続いてやはり同い年の森さんが新しい首相になった。
 咲いた花は必ず散る。気温や雨風によって、多少開花が遅れたり早く散ったりするぐらいの違いがあるだけで、いずれにしろ花ははかない。だからこそ何時散っても悔いのないように、一瞬一瞬を精一杯美しく生きたいと、桜が咲くたびに改めて思うのだ。

桐島洋子


2000年 早春のご挨拶

早春のご挨拶

ついこの間、年頭のご挨拶をしたと思ったら、アッという間にもうひな祭り。年々時計に加速度をつけるという全宇宙的な陰謀でもあるのではなかろうか。
 ところで二月から三月にかけてはヴァンクーヴァー滞在とアナウンスしていたのに、実は行きそびれて兼好法師みたいに家でじっとしていた。
 昨秋に突然天井の板が頭上に落ちて来て、とっさにそれを避けようとした動きが鞭打ち症を引き起こしてしまった。二十年前の交通事故が原因の鞭打ちに永年苦しみ、ようやく卒業できたところだったのに、また最初からやり直しかと暗澹としてしまう。その直後に連れ合いの勝見が旅行中路上で昏倒し脳挫傷で入院という事件があって、しばらくは私の鞭打ちどころではなかったが、一段落してさあ仕事に掛かろうとすると、やはり首がグーンと地獄に引き込まれるように重く痛む。こんな状態でカナダに行ってもあまり活躍できなそうもないから、日本でおとなしく静養することにした。
 というわけでぐだぐだテレビなど見ていると、新潟の少女監禁飼育事件、京都の小学生殺害犯自殺事件、長崎の夫・子供殺害保険金詐取事件と、まさに世紀末的な気味の悪い事件ばかり。連鎖的に酒鬼薔薇や宮崎勤や林真寿美の事件の記憶も蘇る。どうも近頃危険なのは男の子とオバサンみたい。それに親子関係の歪みも総てに共通している。異常な人間がたまたま引き起こした異常な事件としては処理しきれない、不気味な通奏低音のようなものを感じる。そのあたりを深く静かに執拗に考えるのは、私たち物書きの役目かもしれない。テレビのワイドショーのしたり顔のコメントなどでわかった気になってはいけないコワーイ事態なのである。


桐島洋子
2000.1 新春のご挨拶


あけましておめでとうございます。

今年は久しぶりにホームグラウンドの横浜で元旦を迎えました。ミレニアムともなると流石にちょっと気合が入り、ニューグランド・ホテルに港とみなとみらいの豪奢な夜景を一望する部屋をとり、シャンパンとキャビアを用意してカウントダウンという私にしては随分と格調高い年越しとなりました。

遂に二千年になった瞬間、港に停泊する船の汽笛が一斉にヴォーッと鳴り渡り、中華街ではバチバチと激しく爆竹の音が弾け、さらにドドーンと腹を突く轟きとともに花火が打ち上げられ、壮麗な彩光の滝が海を覆い、レーザー光線が空を交差しました。こんなに華やかな横浜を見たことがありません。興奮し感動し、その余勢を駆って徹夜で数年ぶりの年賀状を書き、龍の背に乗ってせりあがる初日の出を遥拝して今年の地球の安泰を深く祈念しました。

形だけでなく本当に気持ちが改まり、新しい意欲が沸き立つ年明けです。

子育て卒業と共に迎えた九十年代は仕事のエンジンを切って積年の疲れを癒しながら大自然に心身を解き放ち、グライダーのように気流任せののどかな滑空生活を楽しんでいましたが、十分に充電も出来た事だし、そろそろまた一働きしたくなってきました。おそろしいほど加速度がついた時の流れにたじろぎながらも、まずは取り敢えず息子にパソコンの特訓を受けているところです。遅々として進歩しない自分に鞭を入れるつもりで、二千年からホームページを開くとあちこちで言触らしていたら、早くもその二千年.大変大変とても間に合わないと焦りまくつていたら、電脳世界では大先輩の若い友人、込山民子さんと伊藤淳子さんが協力して下さることになったので、ともかくこうして「玄関」の扉を開き,新年のご挨拶をすることができました。

内容が充実するまでは、まだ時間がかかると思いますが、ともかくときどき覗いてみていただけたら幸いです。

桐島洋子

top