Party Scene
最近のパーティーから


椅子の画
パーティに参加したい方はこちらをご覧ください

■2001.3 春のファンド・レイジング・パーティーの模様はこちら
■2000.12.13 二十世紀最後のファンド・レイジング・パーティーの模様はこちら
■2000.9.12 緊急企画・ファンド・レージング・パーティー特別版の模様はこちら
■2000.6.4、6.5 イタリアン・プラス・カナディアン・ディナー・パーティのご報告
■2000.4.16 ヘルシー・エスニック・ディナー・パーティのご報告
■2000.4.1  英国式ハイティーパーティのご報告
■2000.1.29 飲茶パーティのご報告

人が集えば何かが起こる、人生は出会いで変る、人目のシャワーで美しくなろうなどと、パーティーの勧めをしきりと書いたりしゃべったりしている私なのに、実は人見知りが強く引っ込み思案で、不特定多数の人を相手にするパーティーは苦手なのである。林住期に入ってからはいよいよ億劫になるばかりで、ご招待があってもほとんど欠席していたが、最近知人友人の訃報を聞くことも多くなり、やはり人には会えるうちに会っておかなければと反省したので、今年からは都合がつく限りはなるべく出席しようと思う。

4月1日のティー・パーティー

 
林住庵の看板爺さん、カナダ生まれのグランパ・グースが玄関前でお出迎え。まずはあるハーブ園から送られて来た風邪予防にいいというハーブ茶でのどを潤して参加者十三人の自己紹介と私のおしゃべり。さらに部屋を案内しながら骨董談義が弾む。
 今日は外国生活が長かった高齢の伯母が厳格な作法で紅茶を淹れてくれる予定で、八十年前に伯母の父がノリタケに作らせた日本で最初のボーンチャイナのティーセットも用意されていたが、伯母が急用で来られず、かわりにわかボランティア・アシスタントの坂東加代子さんが大活躍。でもオールド・ノリタケは壊すのが怖いので、新旧を見比べる「教材」にとどめ、私の新しいノリタケで気楽にお茶を飲むことにした。ホームメードのスコーンと、ルコントのプチフール、それから辛党用にクラッカーとチーズディップも少々。紅茶はウェッジウッドのダージリン。
  初対面なのに、もともとのグループのように和やかで元気な良いパーティーだった。一人八千円の会費を頂いたので、経費を差し引いて八万円弱のファンドレージングになった。ベトナムの孤児たちが喜ぶことだろう。参加者に私の感謝の気持ちをこめたプレゼントとして著書一冊ずつと、英国、インド、ベトナム、インドネシアなど世界のあちこちで買って来た小さなお土産も一つずつお好みで選んで頂いた。
 六時までの予定だったが、気が付けばもう七時。結局ほとんど全員が二次会にも参加することになり、中華街の「保昌」で円卓を囲み、割り勘五千円の大宴会。十分お楽しみいただけたようである。



マハ-サマーディー研究会会報出版記念会 4月2日 牛込箪笥区民ホール

 瞑想の会であり、生とは何か、死とは何かを考え、理想的な死に方から未来の病院のありかたなども考える-マハーサマーディー研究会が主宰した一月のセドナ・ツアーを機に、私もこの会のプリンシパル・コントリビューターと呼ばれる顧問の一人になった。今日は「人はいかに癒されるか」をテーマに、天外司朗、上田紀行両氏のとても中身の濃い講演と湯浅泰雄、湯川れい子、中森じゅあん、青木浩之さんから私に至るまでプリコン勢ぞろいのトークのあと、聴衆も加わって立食パーティー。精神世界がらみのグループというのは何かクライというかアヤシイ人の集まりが多くてあまり近づきたくないのだが、この会に来るのは大体まっとうな大人たちで、生命の本質について手ごたえのある会話を楽しめた。



ナビゲーション・コミッティー合同会議 3月30日 ひょうご倶楽部

 宮内淑子さんという不思議な女性がいる。アナウンサーから、兵庫県が公募した広報ウーマンになって活躍しながら、政財界をはじめ、学術、芸術など各界に豊富な人脈を築き、異文化交流のコーディネーターとしてさまざまなフォーラムやパーティーを主宰している。こういう「人蕩し」というか、オジサマ族のお気に入りとしてそのコネクションを盛大に活用してのしあがった女性は少なくないが、たいてい私の大嫌いなタイプだからまずつきあうことはない。しかし宮内さんだけはとても人柄がいいし、また人選びの趣味がよくてただ権力や名声があるというのではなく、本当の意味で今輝いている人、これからいよいよ輝くであろう人を集める才能があるので、彼女のパーティーはいつもスリリングな知的刺激が溢れている。私は宮内さんに誘われて兵庫県知事にいろいろ提言するコミッティーのメンバーになり、また彼女が組織した次世代産業ナビゲーター・フォーラムにも参加している。今日は、黒川紀章氏を中心にしたコミッティーのメンバーで貝原知事を囲んだ研究会のあと、知事と島田晴雄氏の講演会や兵庫県関係財界人のパーティー。乾杯のスピーチを頼まれたので、「欧米から帰国して日本のパーティーに出ると、あちらで見慣れた花畑色に比べて、どぶネズミ色のモノトーンに、ウウッ、なんだこれはとギョッとすることがあります」と、いまだに男中心の日本のパーティーにちょっぴり文句をつけておいた。でも本音を言えば、万緑叢中紅数点でいるのも悪い気分ではないけれど。



神奈川テレビ番組審議会送別会 3月16日    崎陽軒本館

 
審議会に入ってからなんと二十七年、いつのまにか最古参になっていたが、ようやく卒業を許されて、その追い出しコンパが開かれた。一緒に卒業する野並崎陽軒社長のお膝元で豪華な中華料理の宴会。審議会というのは一般に形式的で退屈で時間の無駄だと思うが、この会は地元横浜のベスト・アンド・ブライテストの仲良しクラブとして愉しかった。ベイスターズの社長も委員のお一人だし、この審議会は熱狂的なベイスターズ応援団だから、野球音痴の私はちょっと肩身が狭かったけれど。



インターネットスクール・パーティー 3月8日

 ンターネットで授業を行うEIKOHインターネットスクールが発足することになり私も推薦人の一人になったので、その説明会を兼ねた懇親パーティー。二次会は銀座のクラブという私が最も虚しく阿呆らしく思う場所でいらいらするが、志茂田景樹、猪瀬直樹、蟹瀬誠一各氏など、愉しい顔触れのお陰でなんとか間がもった。ド派手な衣装に唖然としてエクセントリックな人物だろうと思い込んでいた志茂田氏が、話してみるととても真面目な良識の人で「読み聞かせ」のボランティア活動にも熱心な方なのだ。



ポルトガル大使公邸 3月7日


 ポルトガルがECの議長国になったということで行われたリセプションで、招かれたのは各国の広報官やジャーナリストがほとんど。知らない外人ばかりで焦っていたら、ようやく毎日新聞の西川外報部長が現れてほっとする。しばらく日本でくすぶっていたら、たちまち英語が錆びついて外人としゃべるのが億劫になってしまった。でも大使に挨拶ぐらいはしなくてはと、部屋のあちこちに置かれた骨董を誉めたら、俄然ご機嫌麗しくなった。同好の士だったのだ。
 フィリピン人のメイドが次々と運んで来てくれるオードブルがなかなか美味しい。タラのコロッケ、タペナードのパイなど。
 急に無性にリスボンが懐かしくなる。ポルトにも行きたくて堪らない。つまり良いパーティーだったということだろう。



神奈川県映像コンクール授賞式 2月26日    みなとみらい横浜美術館


 
大島渚審査委員長の有無を言わさぬ御命令で、このコンクールの審査員団に加わってからもう二十年が過ぎた。発足当時はほとんど八ミリ・フィルムだったのが、今は圧倒的にビデオになり、機械技術的にもずっと高度になった。だからといって作品がめざましい進歩を見せるわけでもないところが苛立たしいが、年に一度のこのパーティーで、なるほどこれがオタクというものなのかという人種が多い映像人間を観察するのは面白い。女性の応募者がようやく増え始め、ここ数年は上位入賞するようになったのも嬉しい。私も応募する方に回りたくなって来た。



女流文学者会パーティー 2月22日 銀座みかわ家

 遅れ馳せながら入会して五、六年になる。年に数回昼食会があるけれど私はそのうち一回ぐらいしか出ないから随分久しぶり。みかわ家というのは味も建物もレトロな洋食屋で昭和の始め頃にタイムワープしたようだ。メンバーがまた当時の女学校の同窓会みたいで、素敵な着物姿の佐藤愛子さん以外は、時代離れした洋服の老女が多い。この会の老化が気になる。働き盛りの売れっ子はなかなか出て来ないのだ。会を活性化し若い会員を増やすための一策として,アジアの女流作家を対象にした文学賞を設けようという提議が、中沢けいさん、津島祐子さんの中堅二人から出される。お金も人手もないし、面倒くさいと老女群は大体消極的だが、中沢さんの熱弁を聞くと結構うまく行きそうな気がするし、ともかくこれくらいの意欲はあった方がいいと、私は賛成に傾く。
 近くの喫茶店で二次会。杉本苑子会長の独演会で、林芙美子、平林たい子、吉屋信子といった今は亡き大先輩が勢揃いだった頃の女流文学者会の様子に抱腹絶倒。例えば円地文子の前では幸田文が絶対禁句だったとか、当時は今みたいに仲良しこよしではなく、嫉妬、いびり、後から来るもの突き落とせの画策など、かなり烈しいものがあったらしい。まあ、当時はパイが小さかったから、ライバルに寛大にはなれなかったのだろう。でも、その頃の方が凄みあって面白そう。毒のない作家なんて詰まらない。
 今日に限らずおよそ悪口が聞こえてこないのは佐多稲子。実によくデキた人で、しかも八十になっても男を惹き付ける「小股の切れあがったいい女」だったのだ。「佐多さんの文章には、ああ、この人は男にもてるのが当然自然だった人なんだなと感じさせるものがあるのよ」と、岩橋邦江さん。そう言えば小説書くような女は、ひがみ嫉みをマグマにしたブスが多いものね。でも近頃は、商売をまちがえたんじゃないかと思うような美女作家が輩出してる。ヴィジュアル時代なのだ。若くなくてよかった。
 本日のメニューは、ポタージュ、蟹クリーム・コロッケ・サラダ添え、タン・シチューという定番セット。物足りない味の洋食だ。昼で七千円会費なら、もう少しいい店があるだろうに。



芥川賞・直木賞授賞パーティー 2月18日 東京会館

 実は最近の受賞作ほとんど読んでいないし今回も読みそうもない。というのは私だけではないだろう。でも凄い人波。やっぱりこの賞には華があるのだ。
 芥川賞は、弦月、藤野千夜の二氏。藤野氏は百八十センチ以上ありそうな大女。「まるでおかまみたいな感じの人ね」と、文春の新井氏に囁いたら「だって、そうだもの」と言われてびっくり。「女装してるだけで、手術まではしてないらしいけど」。そうだつたのか。ご時世だなあ。弦月氏も在日韓国人だし、こういう人たちが偏見なく評価される世の中になったのはいいことだ。
 直木賞のなかにし礼氏は私のほぼ同世代。私も望みなきにしも非ずかな。ま、書きもしないで賞を貰える筈ないか。なかにしさんの関係らしく、文学賞パーティーには珍しく芸能人の姿が目立つけど、あとはほとんど知らない顔ばかり。出版関係の業界人が多いようだ。文春のパーティーで他社の編集者がせっせと商売に励んでいる。
 西木正明、森詠の二作家と話をしてるとき、河出書房新社の太田美穂さんに「桐島さんも小説をお書きになればいいのに」と言われる。「もう何十年も前から書く書くと言いふらして書かない狼オバサンなのよ」と応じながらも、ほんとにもう書くときが来てるかもしれないという思いが突然こみ上げて、なんと無謀にも構想らしきものまで口走ってしまう。「もしも実現したら、この小説は、西木、森、太田のお三方との会話にインスパイアーされて生まれたと、感謝の献辞をいれますよ」と約束。
 今夜もついつい食べてしまう。天ぷらに始まって、しゃぶしゃぶ、寿司と和食路線で始めたけれど、東京会館なら洋食の方が本領だと気付いて、ポタージュ、オムレツ、カレーでしめる。胃袋の中は一体どうなってるのだろう。



読売文学賞授賞パーティー 2月17日 パレス・ホテル

友人の鹿島茂氏が授賞したので、初めてこの賞のパーティーに出席。なんと賞金は二百万円なのだ。よかったね、鹿島さん。彼の壮絶な古書漁りの資金量を考えると他人事ながら懐が疼くもの。小説部門の授賞は筒井康隆大先生。何を今更と思うけど、過去の受賞者リストを見ると、小林秀雄だ、三島由紀夫だといった大物がズラッと並んでる。そんなお偉方は文化勲章の類に任せて、民間の賞はなるべくなら隠れた才能や業績に光を当てるものであって欲しいなあ。
 知った顔が少ない。話をしたのは、奥本大三郎、養老武司、山崎正和、堤春恵さんなど、サントリー文化財団でのお知り合いが多い。
 右手は脳との関わりが強いので、脳出血などを心配する年代の人間はあまり勢いよく右手を振ると危ない、トスカニーニも指揮中に倒れたという養老さんの話、よく覚えておこう。
 詰まらないパーティー料理で折角のダイエットを水の泡にするまいと決心してたのに、目の前に並んでるとやはり手が出てしまう。刺身盛り合わせ、鰻の白焼き、北京ダック、寿司幾つか、蟹グラタン。

パーティのお誘い

桐島洋子の骨董部屋(横浜市中区山下町)にて、読者の皆さんをお招きしてのパーティーを不定期で行っています。次回のご案内をお送りさせていただきますので、下記を明記の上、こちらまでご連絡ください。読者の皆さんにお会いするのを、楽しみにしております。

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