新刊紹介

ガ−ルイエスタデイ 私はこんな少女だった

ガ−ルイエスタデイ

湧き溢れる情熱と才能を扱いかねて迷走する真面目な「不良少女」が、半世紀の眠りから覚めて現代に蘇り、鮮烈に痛快に躍動する異色のノンフィクション。



目次

ガールイエスタデイ

一、斜陽の家
二、反抗と迷走 一九五四年十月二十一日〜一九五五年六月十二日
三、熱中時代 一九五五年六月二十八日〜一九五五年十月十日
四、別れの季節 一九五五年十月二十三日〜一九五六年三月十三日



「一、斜陽の家」より

 母の遺品の中に数冊の日記帳を見付けたとき、彼女はこれを私に読ませたいのだろうか、読ませたくないのだろうかと、私はしばらく考えこんでしまった。読まれるのが嫌なら焼くなり破るなりできたものが残っているということは、読んで頂戴という母の意思表示ではないかと思うのだが、突然の死だったから始末する間がなかったのだとも考えられる。
 そう迷いながら手をつけかねていた日記帳を俄かに開く気になったのは、その中の一冊が昭和十二年、すなわち私が生まれた年のものであることに気付いたからである。
 すぐにも誕生日の頁をめくりたい気持ちを抑えて元旦から読み始めると、まず一月六日に〔まだ完全に悪阻が取れない〕という記述があり、「いたいた、ちゃんと御腹に入ってるぞ」と、私の存在を確認する。三月三日には〔今年はお雛様の御機嫌を取り結んで女の子を恵んで頂こうと、大変利己的な考へから一生懸命御馳走を作ってお膳を差し上げる〕とあり、私がおおいに期待された女の子であったことを知り嬉しくなった。
 そして七月六日火曜〔・・・いよいよ始まりと思ひ、十時頃桜林寺さん(産婆)に電話・・・南さん(看護婦)にお産室の用意をすっかりして貰って、痛くなったらすぐ寝る積もりで、お産がよく進む様にと、毛の洋服やほどきものの洗濯をし、それを皆アイロンかけをして居る中に少しずつお腹が張って来る。台所に出てお晝の支度もし、お食事をして居る頃には五分間おき位に大分痛くなって来たので佐伯先生(主治医)にも電話する。龍(父・龍太郎)を送り出してからお風呂に入りすっかり身じまひをしてお床に入ったのが一時半。其頃、先生、産婆さん見える。それからグングン痛くなって三時に出産。思ひがけず女の子で何だかボーッとしてしまふ。今までのお産の中で一番苦しかった様な気がする。〕

 読みながら、まるで自分の誕生を目撃しているような不思議な気分だった。臨死体験というのは自分の抜け殻の周りで家族が嘆き悲しみ有様を斜め上から見下ろしていたりするそうだが、私の場合ははじめての女児誕生に桐島家が歓喜に沸き立つ様子を半世紀後から覗き見たわけである。こんなにも喜び迎えられたのなら、それだけでも生まれた甲斐があったわけだと、今更ながらほっとする。


「四、別れの季節」より

1月26日(木)晴

 つまり終わったのだ。それにしてもなんて後味の悪い幕切れだったことか。シャクだけど軍配は彼に。
 私---女なんだな、やっぱり。女のいやらしさ。
 恋愛の終結は悔いない。そうならざるを得なかった二人だ。
 ただその醒め方に於て彼に一歩先んじられたことが、甚だしく私の自尊心を傷つける。今、私を苦しめているものは彼を失ったことではなく、私がスマートにふるまいきれなかったことに対する猛烈な自己嫌悪なのだ。

 十一時三十分成美堂。私はギシギシ緊張しながら、さりげなく、英書棚に目を走らせていた。「桐島さん」人をはばかるような声が背後でして、私はその声の主と無言で外に出た。
 「桐島さん」・・・か。それまでの私の心にモタモタしがみついていた未練がましいものが、その声を聞くと同時に、キレイサッパリ、パラリと抜け落ち、白々しい自嘲感だけが残った。もうおシマイなのさ、とっくに。それ以外のことをも今まで考え得たということはまったくバカ気た限りだった。
 「昼飯は?」「まだ。」すぐそばの和光寿司に入る。あんな不味い寿司は全く生まれて始めてだった。今にもはきだしそうな気持で無理やり口を動かしながら、受験の話。「もう二月になるんだよ。受けるんならもう本当にやらなきゃ。君科類は?文U?」
 一体、彼は私が本気で今年の東大受験など出来る人間だと思ってるんだろうか。だとしたら、今迄彼は私について何を知って来たんだろう。今更大真面目で、試験勉強のことなど持ち出すのは、他の話題を紛らす為としか思われない。選択科目だの、進学学部だの、将来の身のふり方だのと、ヘンにいじわるく追求してくるのを、無気力にいい加減にうけこたえしながら、私は、いろいろとりとめもなく”昔”のことを思い出していた。思い出は胸をキュンキュン言わせるほど甘美であり、同時にそれだけコッケイだった。
 私がお寿司を食べ残したのを尻目に、彼は更に丼一杯のお茶漬けを平らげた。いつもならホホエマシくながめるであろう彼の大食ぶりが、今日はたまらなく粗野に田舎じみて見えた。夫の箸の上げ下げまでにムカムカするようになるというゲッソリ期の妻の心がよくわかるようだった。和光寿司を出てから渋谷まで徒歩。彼が一人でしゃべるのを私は味気なくただ聞きながら歩く。彼の家族に関する私にとっての何のインタレスもない無駄話。今迄だって、この種のつまらないおしゃべりを、どんなにか沢山私は優しく我慢したことだろう。しかしその我慢は楽しかったのに。「よして、私はそんな話に何の興味もないの。もっと他に話したいことがある」と叫びたいのをこらえて黙々と歩いた。きっと私は物凄く醜い仏頂面をしていたに違いない。
 仰々しい名曲喫茶”田園”に入る。ここで、遂に話は本筋に入る。のっけにサバサバとサヨナラしてしまえばよかったのだ。いくらかは思い出を美しく保存出来ただろう。
 二人ともひどくイヤラシクなってしまった。
 私が彼を離すまいと女々しくとりすがろうとしたのなら、あまりみっともよくはないにしても、それは同情に値したかもしれない。ところが、私のあがきは、いかに自尊心を守るかということだったのだ。
 「捨てられた」という格好になるのは絶対に堪え難い。しかし彼の冷却が一歩先んじたことは認めざるを得ない。この負目をぬりつぶそうと私は必死だった。シニカルにシニカルにと努めた。みすみす自分をイヤラシクしていることを悟りながらも、つかれたように、シニックぶった言辞を弄した。それが、また、女のネチッこさとからまって、世にも鼻持ならない調子を作りだした。私のこの往生際の悪さが、彼の私に対する「せめてもの心やり」を追いやったのだろう。彼もまたまた負けずにイヤラシくふるまった。それは確かに残酷という種類の態度だといってよかった。それが、私を全く一片の同情にも値しない人間だと見捨て切った故か、それとも、その残酷に耐えうる強い女だと認めた故か、それはわからない。



読者の声から

・私は勉強は好きだけど学校は嫌い。大好きな作家も同じだったんだと知って嬉しかった.

・地すべりのように恋愛が壊れていくときの虚しいあがき、哀しい無力感、私にも覚えがあります.でもその自分をこんなに醒めた眼で観察し、しっかりと文章化する高校生って凄い.やっぱり作家になる人は違うと驚嘆しました.

・父が愛人の家に行ってしまった日の母と娘の会話、これだけでも一つのドラマですね.いろいろと問題はあるけれどやはりとっても魅力的な父や母が生き生きと描かれていて、家族の価値について考えさせられました.

・国際都市上海の幼年時代はスピルバーグの映画みたいにリリカルだし,湘南の斜陽生活は「風と共に去りぬ」さながらだし、高校時代は学生運動あり恋愛ありで強烈だし、変化に満ちた時代史としても面白い.NHKのテレビ小説にぴったりだと思う.

・作者と同じ世代なので青春の日々を追体験するように懐かしく読みました.でもあの時代にこんなに奔放に生きていた人もいたのかと驚いています..

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