*** スローフード、スローライフ(1) ***
('03年7月30日)
 ここ数年、山形県白鷹町とおつきあいさせていただいているが、人口14000人のこの小さな町は媚薬のような魅力を秘めている。山、川、田んぼ、畑、など、「日本の田舎」というイメージそのものの風景がそこここにある。私が生まれたころ、鎌倉の谷戸や山々は田畑や雑木林ばかりで、私の実家でも米を作っていた。そんな原体験があるせいか、白鷹町はなにもかも「懐かしい」郷愁に満ち溢れている。

 また、山形といえば、さくらんぼ。
昨年はいろいろな方が「いちばんおいしい実がなる樹をあげるから、とりに来い」と言ってくださって、ついには行けなかったけれど、今年も「いったい、いつ取りに来るんだ」とお誘いをいただいている。
 白鷹町とは関係ないのだけれど、毎年山形のさくらんぼを贈ってくださる友人がいて、今年もぷっくりした佐藤錦のさくらんぼが届いた。もう、めちゃくちゃにおいしい。宅急便で届いたさくらんぼでさえこんなにおいしいのだから、もぎたての完熟さくらんぼはもっとおいしいに違いない。さくらんぼがたわわに実っているところも見てみたい。

 さくらんぼに限らず、農家さんからしてみれば、買ってくれる「お客さん」ももちろん大切だろうけれど、現実的には「もいでくれる人手」のほうが欲しいという。自然の農産物は人の予定など気にしてくれないから、食べごろというのは一斉にやってきてしまう。
 市場に出るものは食べごろまでは待っていられないから、たとえばトマトなどもまだ青いうちにもいで箱詰めされ輸送中に追熟するが、大地の養分を吸って完熟したものの甘味に勝てる味はない。
もぎたて、採りたての野菜は、いずれの地でもおいしいであろうけれど、白鷹町の(田中さんや、大滝さんの)トマトを食べたら、そんじょそこらのトマトは食べられないというくらい絶品である。
 天然の山菜や、手塩にかけた農作物のおいしさは、最上川の源流という恵まれた水質の恩恵でもあり、サンマも見まごうほどの大きさと肉厚の天然鮎もこの地の名物だ。

 なんてことを長々と書いて、何が言いたかったかといえば、「本当においしいものは大地にある」ということだ。
 そして、大地を相手に奮闘している農家の人たちのメンタリティは、都会のビジネスピープルとは「まったく違う」
 私は長い間渋谷という都会で「トレンド」を作る仕事に携わっていながら、一般的に言われる「ビジネスマインド」というものに抵抗感を感じ、金儲け一本槍のベンチャー・ビジネス・ピープルに辟易としてきて、最近では「やっぱり私は鎌倉の農家の娘だったのだなあ」と感じる。農家の娘といっても、農業については何も知らないのだけれど。

 春夏秋冬、その季節にしか出会えない味があるって、すごいことだ。
 鎌倉にいたころ、畑に野菜があるのはあたりまえだったし、うちの庭にある虫だらけのキャベツよりも、スーパーで売っているきれいなレタスが食べたかった。
 でもやっと、見てくれだけの水っぽい野菜と、粗野な野菜の違いがわかる年齢になってきたということか。

「わたし、牧場を始めます」(やまざきようこ著 中央公論社)という文庫本を、いつか買っていた。
 音響ウーマンとして、都会でバリバリと働いていた女性が、がんばりすぎて身体を壊したことをきっかけに、仕事について考え、生き方について考えるようになり、大学の同級生だった変わり者の男性が開拓した農場へ嫁ぎ、農業ビギナーとしてチャレンジ人生を送っているというエッセイである。
 また、著者は(女性ではめずらしい)「牛の人工授精」の勉強をしながら、性のメカニズムに感動し、食物や農薬についても多面的に考えるようになっていく。
 読み出したら、軽快な文章と、波乱万丈な出来事の数々がおもしろくて、一気に読んでしまった。
 農業ってすごいな。牛を飼うってすごいな。なにより、夫婦で生きていくってすごいな。と感動してしまった。(おすすめの本ですが、どうやら入手はむずかしそうです)

そして、おすすめの本をもう一冊。
「アメリカの小さな町」(トニー・パーカー著 橋本富郎訳 晶文社)という1993年に発行された分厚いハードカバーの本。
 最後に鶴見俊輔(哲学者・評論家)と長田弘(詩人)の対談のおまけがついているがそれはさておいて、600ページにもわたり、カンザス州にある人口2000人の町に住む人々をつぶさに取材した「田舎暮らしのよろこび」インタビュー集なのだ。
 ごくふつうの町に、ごく普通に暮らす老若男女の人生の機微が淡々と語られていく。
 私が20代のころ、取材と称して行ったアメリカの中部の田舎町で、「何年くらいここに住んでいるんですか?」と聞いたら「All My Life」と、歯のない口を空けて笑った老人に出会った。そんなことをふと思い出した。

 都会にいても移り行く季節を感じることはできるし、田舎の生活がなにもかもすばらしいわけではない。
 でも、ひとつだけわかることは、がむしゃらに生きることばかりがすばらしいことではないということだ。
 明日は明日の風が吹く。
 そう考えて生きるのも悪くない。

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