*** 言い訳のある人生 ***
('03年4月16日)

 先日、20代、30代の起業家が200人近く集まる会に参加した。
 ゲストスピーカーは「血気盛ん」という言葉がぴったりと当てはまる青年実業家が3名。それぞれの「熱い」体験と夢を語った。
 会場には高校生に毛が生えたような少年少女もいて、「なにをやりたいか、いまはわからないけれど、がんばって起業したいと思います!」なんて宣言をするのを聞いていると、なんだか怪しい宗教団体に紛れ込んだみたいな居心地の悪さを感じた。
 それは「人材派遣」や「ネットビジネス」というようなビジネスが多かったからかもしれないし、成功している先輩たちも含めて、誰もが健康で、ぴちぴちと活きがよいことによる居心地悪さかもしれない。
 私も20代のころは活きがよくて、生意気だった。やりたいことがたくさんあって、寝ている時間も惜しくて、人生120%謳歌しまくっていた。そのころの私だったら、もしかしたら「私もがんばるぞ!」となったかもしれない。
 でも、私はもう20代ではないし、いいことだけではなくて、つらいことや、悲しいことも経験して、ちょっと落ち着いてしまったところがある。
 40代なんてまだまだこれからという人もいるかもしれないけれど、これからはエンディングに向かう人生だ。20代は上り調子だけれど、40代、50代になったら、ほどほどのペースでいいではないか、と思うようになった。
 40歳のときに父が死んだ。そのおかげで私ははじめて、立ち止まった。そのあと、いろいろなことがあって、以前と同じように突っ走ることが難しくなった。おまけに、自分の体調もだんだんおかしくなっていた。
 悩みに悩んだ時期は結構長くて、親しい人に「えっ? そんなに悩んでいたの?」と言われるくらい、何年も、何年も、ひとりで解決の道を探って迷っていたのだけれど、最近になってハタと気がついたことは「突っ走らなくてもいいんだ」ということだった。
 そのうえ、心がとても広くなった私は、いろいろなことで言い訳を見つけてはサボることにした。
 体調が悪いときは休むのが一番。更年期かもしれないから気分がすぐれなかったら休もう。とにかくカラダが資本なのだから、やる気がないときはゆっくりして英気を養うべきだ・・・などなど。理由をつけては休憩したり、休暇をとるようになった。
 おまけに最近はランチのあとに猛烈に眠くなるので、お昼寝までするありさまである。
 こんなていたらくで、ぴちぴちの若者たちに勝てるわけはない。
「ボクの会社が将来どうなっているのかはわからないけれど、社員のモチベーションのために毎月売上目標を掲げています。そして10年後には100億円の企業にします!」なんてシュプレヒコールは、バリバリ青年実業家たちにくれてやるわ、なんてね。
 
 すっかり春めいた今日は、部屋の大掃除をした。
 私にしてはずいぶん思い切ったつもりだけれど、それでもほとんどモノが減らないのは困ったものだ。
 藤沢周平という作家が妻に、「死ぬまでにだんだん荷物を減らしていって、最後はひっそりと消えたい」というようなことを言ったという。私もそうありたいけれど、そうあるためにはまだ当分現世の修行が必要である。

 電車の駅構内の古本屋で、五木寛之のベストセラー「生きるヒント」を100円で購入した。
 老年にさしかかり男の更年期を乗り越えた作家のコラムはどれもが身に覚えがある内容ばかりで、共感を得たとともに、なんだか私も老成の域になりつつあるのだろうかとうら淋しくもなった。
 若いつもりでも肉体は確実に成熟の山を越しているのである。

 女性の更年期は35歳くらいから始まる人もいるのだというが、平均では40代後半くらいから50代にかけてであり、この時期、女性ホルモンのバランスが崩れ、体調も気力も衰える。
 世の中、男も女もないというけれど、確実に「女の身体」は「女の人生」を刻む。
 私は、身体と精神は切り離すことはできないと思っているから、女性は女性としての生き方をして当然だし、人生言い訳だらけであっても当然であると思う。
 ああ、それにしても都民になって初めての選挙に行きそびれた。そのおかげで(というわけでもあるまいが)もっとも軽蔑している男が知事になった。あー、また4年間、ストレスがたまるなあ・・・


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