*** 日高火防祭見学 ***
(5月7日)

「伊藤さん、岩手にある女の子のお祭り、見に行かない?」とI女史に声をかけていただき、岩手に行ったことのない私はふたつ返事でOKした。
「日本広しといえども、女の子のお祭りなんて珍しいでしょう? それに女の子といえば、A-Girlだものねえ」とIさんは切符からホテルから、なにもかも手配してくれた。

 東京から東北新幹線で水沢江刺まで約3時間。十時前に出発したので、1時ころに水沢に到着した。
 まずはランチ。ホテルで「このあたりでおすすめのところはないですか?」と聞くと、フロントの人が「さあ」と首を傾げる。ホテル前に祭りのテントを張っていた婦人警官に聞いても「私、転勤してきたばかりで」と、周囲の人々に聞いてくれているが「えー、このへんで食べるところなんて、定食しかないんじゃないのぉ?」
 あきらめて歩いていったところ、遠くに「前沢牛」と書いたのぼりが見える。
「前沢牛? 行こう!」
牛のように(?)一直線に行った「佐々忠」のすき焼きは、超マーベラス!
一人前4000円の特選コースの肉の色ったら! 味ったら!
「東京だったら3倍はするよー」
「これを食べただけで、水沢に来た価値があるよー」と、涙、涙。いやはや、なんとうまいことか!
「こんなにおいしいのに、なんで地元の人が知らないのかしらねー」
案外、地元の人は外食などしないくてわからないのだろう。
いや、もう、旅の目的がなんだかわからないくらい、おいしかった。

 でもって終わり、ではなく、お祭りである。お祭りであるが、その前にまず、武家屋敷などを見てまわることになった。爽やかな五月晴れ(4月29日だったけど)。散策にはこのうえもない陽気である。家々の庭先には花々が咲き乱れ、最近こんなにたくさんの種類の花が咲いているところを見たことがないと思った。
 斎藤寛、後藤新平の記念館では、歴史に疎い私は史実というより、当時の男の生き様と、影でささえた妻の在り様に感動を覚えた。
「みんな偉業を成したけれど、でもそれは水沢の地で成したわけでじゃないのよね」
 
留守家17代の水沢城主宗景公も、少年時代伊達公の名代として江戸に行き、いろいろな経験と影響を受けたようだが、特に江戸の華といわれる火事に驚き、帰水するや火防対策に万全の策を講じたという。そして、人智の不測不慮の羅災を神仏の加護によって未然に防止しようと祈願した祭りが、この「日高火防祭」であるといわれている。
また、19代村景公の時代に水沢に大火が起き、江戸火消を学びに派遣された佐々木佐五平により、民間消防隊が創始され、町ごとの火消組記念行事が祭となったという説もある。
城下町だった町屋敷6町ごとの町火消しに、消防のマークである「仁心火防定鎮」の6文字を各町にひとつづつ旗印として与えられた。
祭りはこの町印(ちょうじるし)の集団と「うちばやし」と呼ばれる男の子だけの小さな屋台が神社に参拝することから始まる。

私たちは4月28日の前夜祭には参加せず、29日に行ったわけだが、午後には「42歳・25歳の厄年連」が賑やかなパレードを繰り広げていた。和製ロックに合わせて踊る様は、かつての原宿竹の子族を彷彿とさせたが、みんな楽しそうである。
「このためだけでも戻ってきてほしいという目的もあるのよね」とI女史はいたってクールだが、見ごたえある、というよりも一緒に踊りたくなるノリだ。
 音楽も演奏も振りつけも、全部自分たちのオリジナルということである。CDを売っていたら買って帰るのになあ。

 夕刻になり、お目当ての「はやし屋台」見学となる。
 こちらは、横町組、福路町組、駅前三町組、川口町組、柳町組、城内組、立町組、吉小路組、大町組の9つの町が競い合い、それぞれ違った音律のお囃子を演奏する。
この屋台には娘5人と糸合わせの師匠一人が三味線を弾き、小太鼓を打つ20人近くの「人形」が乗っている。
各屋台ごとに「一声くずし」とか「かんらん」「祇園ばやし」といった音律があり、6町共通の「トットコメイ」というソナタ形式に酷似した音律もあるそうだが、残念ながら初心者の私にはそこまで深くはわからなかった。
 
 5月まであと1日というのに、夜の風は冷たくて、屋台の上のお稚児さん(?)たちが寒いのではないかと心配になった。ひとりひとりが着飾って、本当にお人形のようにかわいい。
「屋台に乗れるのは町の女の子だけなのよ。あの子たちは前の日からトイレに行かないために水を飲まないようにしているんですって」
 トイレが近い私には到底無理だ。
 年齢制限がないそうだが、5歳くらから小学校低学年くらいまでだろうか。なり手が多く、屋台に乗るためにはかなりの競争率なのだそうだ。
 豪華絢爛な衣装も髪飾りもお金がかかることだろう。レンタルもあるらしいが、やはり親心で、誂える人が多いらしい。
「それがまた、町の財政活性にも役立っているわけよ」とI女史が説明してくれる。
着飾って、一段と高い屋台から町を見下ろす気分はどうなのだろう。
私たちは特設シートで震えながら屋台が来ては向かい合って「相打ち」をする様を鑑賞し、小太鼓の女の子たちに拍手を送った。

 200人近い着飾った少女たちが主役のお祭りとは、本当にゴージャスだ。
 ちなみに、水沢では「裸の男と炎の祭り」で知られる黒石寺があり、対照的だ。(といっても、私はこちらの祭りもテレビでちょっと見たことがある程度なのだけれど)

 祭りが終わって帰宅する少女をつかまえて、写真を撮らせてもらった。
 京都の舞妓さん並みに(以上に?)かわいい。
 私は「この祭りをどうしたらPRできるかしら」というI女史の言葉を受けて、マジメに「どうしたらもっと人が集まるだろう」と考えてみた。
 考えてみたけれど、観光客が集まる祭りと、地元の人たちが楽しむ祭りは違うのではないかと思った。
「観光客を増やす」ことと「自分たちが楽しむ」ということは違う。

 祭りの沿道には昼すぎから座り込んで待つ人たちがいたが、ディズニーランドのパレードを待つ人たちよりも少ないように思えた。
 露店も町内会のアットホームな雰囲気がよかった。

「来年、行ってみたいと思う?」と聞かれて、ちょっと考えてしまった。
 前沢牛は捨てがたい。でも、少女の屋台を見るだけに行く、というにはもうひとつ、なにかが欲しい。
 祭りの期間の大安売りとか、地元料理の屋台とか、地酒大会とか、「行ってよかった!」と思うおみやげがもっともっと欲しい。
 まずは厄年連のCDを出してね。ほら、「おさかな天国」みたいにヒットするかもしれないじゃない?


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